【2017年現在】ウクライナの政治情勢の簡単なまとめ

ウクライナの政治の対立軸

現在のウクライナは1991年のソ連崩壊後に独立した国家です。独立後、ウクライナ国内には大きく分けて、

①ヨーロッパ諸国やアメリカなどの西側諸国との関係発展を基に将来的にはEU加盟・NATO加盟を目指す親欧米派の人々
②CIS(旧ソ連構成諸国による独立国家共同体)の枠組みの中でロシアとの関係を大切にしながらの政治を目指す親ロシア派の人々

の政治対立が常にあります。

①の政治組織を支持する人たちは主に、ウクライナ語を話し、ロシアやソ連時代の政治に対し否定的であり、西ウクライナ出身の人が多く、
②の政治組織を支持する人たちは主に、ロシア語を話し、ロシアやソ連時代の政治に対し比較的肯定的であり、東ウクライナ出身の人が多いです。

つまりこれらの対立には、言語対立(ウクライナ語かロシア語か)、ロシアに対する姿勢(否定的または肯定的)、地域対立(西ウクライナと東ウクライナ)が基礎にあります。

これらの対立は選挙のたびに顕在化していましたが、それが大きな問題となったのは2004年の大統領選挙の時です。

2004年の大統領選挙とオレンジ革命

この選挙ではこれまで国を率いてきた比較的親ロシア派の大統領であったクチマ氏の後継として、親ロシア派のヤヌコビッチ氏と、親欧米のユーシチェンコ氏が争いました。

選挙管理委員会による選挙結果の発表では、ヤヌコビッチ候補がわずか3%未満の差でユーシチェンコを上回ったと発表されましたが、選挙にておいて多数の不正があったと主張するユーシチェンコ氏の支持者らにより大規模なデモが発生し、ウクライナ国内は大きな混乱状態に陥りました。

最終的には再選挙が行われ、ユーシチェンコ氏が大統領に選出されましたが、国内に大きな対立の遺恨を残しました。
この2004年の出来事はオレンジ革命と呼ばれています。

2010年の大統領選挙

2010年の大統領選挙にはユーシチェンコ氏は出馬せず、親欧米派の候補としてはティモシェンコ氏が出馬しました(日本で美人なウクライナの政治家として有名なあの方です)。
対して、親ロシア派の候補としては前回と同じくヤヌコビッチが出馬しました。

今回の選挙では、親欧米派のリーマンショックを受けての経済運営の失敗、景気の低迷、ティモシェンコ氏に対する国民の不信感などの要因が重なり、またヤヌコビッチ候補が「ウクライナのEU加盟に前向き」な姿勢を取ったことから同候補が当選し、ウクライナは再び親ロシア派の大統領に率いられることとなりました。

2013年ユーロマイダーン

2013年11月に開かれる東方パートナーシップ(EUへの潜在的加盟候補国である東ヨーロッパ諸国とEUとの協定)の会合を前に、当時のウクライナの内閣はウクライナとEUとの連合協定締結のための準備プロセスの停止を決定しました。

これに対し、将来のEU加盟に期待をしていたウクライナ人らにより首都のキエフにて大規模なデモが発生しました。これは後に「ユーロマイダーン」と呼ばれる運動となります(ユーロはヨーロッパの意味、マイダーンはウクライナ語で広場を意味する)。

ユーロマイダーン発生後、デモ隊はキエフ市中心の独立広場を占拠し、連日激しく政府を非難しました。また西ウクライナの多くの都市で市民により政府庁舎や市庁舎が占拠され、国内は大きな混乱状態に陥ります。このような情勢の中、デモは翌年2月を迎えるとさらに大きなものとなり、ヤヌコビッチ氏率いる政府が投入した特殊警察部隊と、デモ隊の間で大規模な衝突が発生し、18日から21日の4日間で80人もの死者が発生してしまいます。

このような情勢の中、21日の夜に、ヤヌコビッチ大統領はキエフ郊外の飛行場から東ウクライナのハリコフ(ハルキウ)市へとヘリコプターで飛び立ちました(後にロシアへと亡命します)。また他の大臣等の政府幹部も同じくキエフから逃げ出し、親ロシア派の政権は崩壊しました。

翌22日よりユーロマイダーンに参加した親欧米派の政治家を中心に臨時政府が立ち上がりますが、この混乱の隙をつき、ロシアによりウクライナ南部のクリミア半島が占拠されてしまいます(クリミア危機)。また、ウクライナ東部のドンバス地方ではロシアの支援を受けた武装勢力により政府・市庁舎が占拠されてしまいます。

2014年ウクライナ東部紛争およびポロシェンコ体制

このような情勢の元、2014年6月に新たに大統領に就任したポロシェンコ大統領によりATO(Anti-terrorist operation、対テロ作戦)が発動され、親ロシア派の武装勢力に占拠されているドンバス地方の奪還を目指します。この作戦によりウクライナ側は次第に多くの都市を奪還していきましたが、このことがロシア側の大きな戦力投入をまねき、8月以降に再びいくつかの都市の支配を失ってしまいます(ウクライナ東部紛争)。

翌年2015年2月にベラルーシのミンスクで、ウクライナのポロシェンコ大統領、ロシアのプーチン大統領、ドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領の間にて「ミンスク合意」が調印され、これによりウクライナ東部ドンバス地方の戦闘は落ち着きをみせました。

現在のウクライナの情勢

2017年1月時点でのウクライナの政治情勢は依然と比べて大きな落ち着きを見せています。これは、

①クリミア半島やドンバス地方の支配を失ったことで、それらの地域に住む親ロシア派住民のの票が国政選挙に反映されなくなったこと
②ロシアとの戦争により、これまで親ロシア派だったウクライナ人の多くがその考えを変えたことで、国全体がまとまっていったこと
③圧倒的な支持によりポロシェンコ大統領が選ばれ、議会も親欧米派の政党によりそのほとんどが占められたこと
④親欧米派の政権発足により、西側諸国からの投資および援助が活発となったこと

などの要因が挙げられます。
しかしながら、現在行われている様々な改革がうまくいかず、経済の低迷が続いたり、EUやNATOへの加盟プロセスが滞ったとすると、再び国内に混乱が生まれる恐れがあります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする